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断然カプコン派です

フィルムセンターで『忠次旅日記』修復版を見た話

 忘れないうちに書き留めておかねばなと考えながらも横着している間に半年ほど経ってしまったが、えーと去年の7月ですか、フィルムセンターで『忠次旅日記』(1927)という映画の新しい修復版が公開されたので見に行った。一昨年に同館で上映された際にも見ているし、暑かったので、どうしようか迷ったのである。しかし同時上映の『長恨』にちょっと興味があったので出かけることにした。案の定長蛇の列ができていて、お前らそんなに伊藤大輔がみたいのかよ、こんな暑いのに、とかなんとか心中ひそかに悪態つきながら、階段の下まで続く列に並んだのを覚えている。人間暑いとそういう悪態もつきたくなる。

 しかし暑い中わざわざ足を運んだ甲斐があったというか、これが実にいいイベントだったのだ。上映された映画と同じくらい、研究員の誠意に胸を打たれた。

 

 まず『小林富次郎葬儀』というフィルムが上映されたのだが、それに先立ってフィルムセンターの職員による解説が入った。この職員の方のお話が非常に面白い。小林富次郎というのはライオンの創業者だそうである。なにしろえらい人なので死んだ際には随分と長い葬列を神田のあたりへずらずら流したらしい。それを録画したのが件のフィルムである。これは桐の箱に納められて長らく倉庫かどこかに眠っていたのを、誰かが発見してフィルムセンターに寄贈したのだという。ここで急に夏目漱石が出てくる。この映画は1910年に撮影されたものだが、次の年に『彼岸過迄の執筆がはじまる。その舞台となったのがやはり神田で、つまり映画に映っているような街並みに『彼岸過迄』の登場人物は生きていたのだろうというのである。そう言われると新しい興味がわいてくる。スクリーンに向ける目も俄然違ってくる。いやまったく『彼岸過迄』を読んでおくべきだったなあと変に悔しい気持ちになったりもした。

 

 で、メインイベントである『忠次旅日記』と『長恨』の上映。これにもやはり前置きがついた。……実はこの前置きが素晴らしかった。ちょっと気恥ずかしいのだが、胸が熱くなるくらい感動してしまった。

 といっても、フィルムの修復についての話である。『忠次旅日記』と『長恨』、いずれも着色版が上映されることは前もって知っていた。自分には技術の話はわからない。どうやら今回の版はデジタル修復を行った後に、無声映画時代の手法で着色を行ったらしい。しかしその着色というのはどういう基準で行うものなのかわからない。Giorgio Moroderが80年代に『メトロポリス』にてきとーに彩色したという話があったが、まさかそんな感じなのだろうか、と思いきや違った。なんでも『忠次旅日記』のフィルムが1991年に発見された時点で、褪せてはいたものの色がつけられていたのだという。確かそんな話だったはず。で更に――これが驚いたのだが――発見されたフィルムには明らかに違う映画のフィルムが混入していたのだという。しかも『忠次旅日記』ではない、何だか忘れてしまったが、別の題名が冒頭に出るのだという。つまりそれには第三者の手が加えられていたというのである。

 『忠次旅日記』がもともと三部作であること、1991年に発見されたフィルムは第二部の結末部および第三部のみであること、は勿論知っていた。それは完全な状態のフィルムが、流通過程における様々な理由で散逸してそのような有様になったのだろうと自分は思っていた。だがそこに何者かの手が加えられていたとは考えてもみなかった。混入しているフィルムはマキノ正博監督の『忠治活殺剱』(1936)の一部で、これはトーキーなのでフィルムにサウンドトラックがついている。部分的に残っていた『忠次旅日記』を一個の独立した映画として完結させるために、そういう無理な継ぎ接ぎをしなければならなかったのだろう。誰がその外科手術を行ったのかはわからない。それについて詳しい説明はなかったと思う。ともかくそのような経緯で、厳密には『忠次旅日記』とも『忠治活殺剱』とも異なる作品が、何者かの手によって生み出されたのである。

 フィルムセンターはそれまでそのフィルムを修復する際には『忠次旅日記』部分のみを抜粋していた。自分が2010年に見たのもそのヴァージョンである。ちなみに白黒だった。だが最新のデジタル修復にあたっては、敢えて発見された状態のフィルムをそのまま丸ごと修復し、染色したのだという。それはつまり、『小林富次郎葬儀』の解説でもふれられたことだが、フィルムという“モノ”に宿った歴史を尊重することに他ならない。『忠次旅日記』という作品の真正性以上に、この(タイトルは何だか忘れてしまったが)継ぎ接ぎのフィルムそれ自体に敬意を払ったとでもいうか……とにかくこの前置きにすっかり感激してしまって、『忠次旅日記』どころではなかったのである。いや嘘ですけど。ちゃんと見ましたけど。

 

 あらためて見た『忠次旅日記』は澤蘭子の可憐さがハンパなかった。調べるとこの人は悪女役も多く(まあ『忠次旅日記』の役も結構強烈なキャラだったけど)、清水宏のあの『渚の日本娘』(1933)ではシェルダン曜子(すごい名前)を演じているそうで、「マジか!」と驚いてしまった。また作曲家の近衛秀麿の愛人だったそうだが、このWikiにのっている「澤蘭子にさわらんこと」というのは気が利いている。

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